「勉強」を考えてみよう(金海)

「生活綴り方運動」って知ってますか?

かつて日本の教育のシステムにたいして一石を投じた運動で、それはアカデミックな教育とは対となるものでした。

本来、教育というのは、みなさんが知っている通りです。

詰め込み、詰め込みでの作業。

つまり、書物に記されている知識を実践もせずに、ひたすら頭に叩きこみ、テストをして、数値化された成績で善し悪しを判断する。

これはアカデミックな教育なんです。

いっぽうの「生活綴り方運動」で提唱された教育のやり方というのは、実践重視でした。

つまり、本人が興味のある内容や、生活するうえで必然的に起こってくる問題から、知識を深めていく、あるいは広げていく。ようするに、数英国理社関係なく、手を動かし、身体を動かし、実験や旅行、ものづくり、芸術活動などを経て好きな分野から勉強をはじめていく。




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どちらのほうがよいでしょう。

いまの教育に慣れているひとからすると、「生活綴り方運動」のほうがなにやら新鮮で、なおかつ純粋に勉学をたのしめそうであるため、よさそうに思えるかもしれません。

しかし昨今では、この「生活綴り方運動」で行われたような教育はほとんどやられていません。

なぜか。

まあ、いろいろ問題があるからなんですよね。

 

アカデミックな教育を貫くと優劣の差が激しくなることはたしかですが、じつはとびぬけて優秀な人材が育ちやすいんです。

いっぽうの生活綴り方運動では優劣の差がつかないかわりに、優秀な人材は育ちにくいんです(なんだか意外ですよね)。

日本は資本主義なので、相性がよいのはアカデミックなほうというわけです。

でも、正直にいって、アカデミックな教育でとびぬけて優秀な生徒というのはたいてい、無意識のうちに生活綴り方運動の要素を取り入れていたりします。

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けっきょくは、バランスなんですね。

ひと通りの基本的知識を頭につめこんで、興味のある内容から深く掘り下げていき、ただただ機械的に勉強する、苦労しながら勉強するのではなく、たのしみながら勉強していく。

時代の流れで淘汰されてしまった教育ですが、それを切り捨てるのではなく、拾って活かす。そこが重要なんですね。

緑成会では、勉強のやり方をそれぞれ指導させていただいていますが、生徒のみなさんもたまには、じぶんの勉強のやり方について思いを馳せてみるのも悪くないと思いますよ。自分の勉強法がどうであるかを自分でふり返って考えてみるのも、また勉強のひとつです。

個別総合学習塾 緑成会

緑成会の日々の出来事を綴っていきます。

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